そんなに辞めたいなら今すぐ辞めろ!という意見について
こういう退職ブログなんかを書いていると、少なからず「そんなに辞めたいなら今すぐ辞めろ!」という主張を押し付けてくる人が出てくるようだ。
いや、最近はブログよりもツイッターの方がそういう傾向が強いかも。
僕も退職を考えるようになって、いろんな人のブログやSNSを参考にさせてもらっているけど、「こんなところでボヤいていないで、とっとと辞めろよ!」みたいな書き込みをどこかで見た記憶がある。
これは何も退職だけでなくて、離婚を考えている人や恋人と別れようと思っている人なんかは「そんなに別れたいなら今すぐ別れろ!」とか…何にでも当てはまるんじゃないかな?
ヤフコメなんかにもそういうの多いよね。
まあ、決めるのは自分だし、目的はいかに早く辞めるかではなくて、今目の前にある問題をできるだけ解消して自分にとってベストな状態で辞められるかだとすると、それなりに時間もエネルギーも使うから、結果的に今すぐ辞めるという選択は良くない方向に進む危険さえあったりするのでは?
無理解な人間の一方的な意見に惑わされる必要はない
実際に僕も思いつきでこのブログを始めた時はこんな感じだった。
上の記事を書いてから実際に退職日が決まるまでは、それなりにクリアしなければならない問題がいろいろあって、結局二ヶ月ほど時間もかかった。
retirement-thinking.hatenablog.com時間はかかったが、ブログを始めた当初に思い描いていた目的は果たせたと今では思っている。
当時もすごく会社を辞めたかったわけだけど、あの時すぐに辞めていたらきっと最悪の辞め方になっていたような気がするんだよね・・・
だから、当事者の立場や状況、複雑な気持ちを理解しようとしない「とっとと辞めちまえ!」的な意見に惑わされる必要はないと思うんだ。
さっきも書いたけど、これは退職に限った話じゃなくて、離婚や恋人と別れたい場合も同じ。
もちろん、自分のことを理解しようと寄り添ってくれる人の意見は参考にすればいいと思うよ。
葛藤したり迷ったりするのも人間味
物申したくなる気持ちはわからないでもないけど、当事者にしかわからない葛藤だったり、複雑な心境だったり、人間関係だったり、あらゆる問題があって、現実との狭間で揺れ動く感情が人間らしさでもあるんじゃないかと思うんだよね。
人間の感情って0か100じゃなくて、0.1~99.9の振り幅があって、たとえ100を目指していても時には65.4だったり、31.5だったり、0.1~99.9の領域を不安定に揺れ動くものだったりする。
その不完全さが人間らしさなのかもしれない。
僕は、誰かのブログを参考にさせてもらう時、そんな人間の葛藤や迷いのような不安定に揺れ動く感情に魅力を感じるんだ。
ドラマや映画、マンガなんかにもそういう人間のもつ葛藤や迷いは描かれたりするし、そこに引き込まれたりするんだよね。
0か100、YESかNOしかなかったら、たしかに効率的で無駄がないかも知れないけど、無機質でつまらないと思う。
効率化や結果ばかりが過剰に求められるようになって、他人の気持ちを想像したり、理解する余裕すら奪われると、0か100しかない極端な思考になってしまうのかもしれない。
そもそも人間って不完全で不安定な生き物なんだよね。
0.1~99.9の感情の振り幅をいかに想像できるかどうかって、とくにネット社会では大事だと僕は思っているんだけどね。
最近読んだ退職ブログ
退職を考える立場としていろんな人のブログを読ませていただいている僕だが、最後に最近読んだブログでも紹介しようかな。
今日この記事で書いたことを意識して読んでみるといいかもね。